余生を思う
テンセグリティ構造
建築構造のひとつ。
tension(張力) + integrity(統合) の造語。
「引っ張る力」と「戻ろうとする力」の拮抗。
最小限の力で成り立つ絶妙なバランス。
外からの支持が無く、自立保持可能な構造。
ヒトのカラダの構造も、このテンセグリティ構造によく例えられる。
「体を全体として一つ」としてみる。
「引っ張る力」が、筋肉・筋膜であり、「戻ろうとする力」が、骨だ。
カラダの使い方・クセで、張力(筋肉・筋膜)はどうしても偏りが出来てしまう。
アナトミートレイン、筋肉の繋がり。連鎖していく ひずみ。
この崩れたバランスでも補正作用が働く恒常性・代償性・可塑性。
人間の脳は、本気でスゴい。
「無理矢理 脳で従わせている」という云い方も出来る( ´_ゝ`)
無意識のカラダのクセ。
無意識ゆえに( 己がコトなのに)、判じ難い。
脳に機能的動作を学習させる。
フェルデンクライスメソッドやアレクサンダーテクニークなど。
張力のアプローチとして、クラニオセイクラルやロルフィングなど。
ボディワーク、面白い。
面白さが分かってきた頃、手遅れ感に歯噛みしたり。
理解力の浅さ・遅さ。コレも個性のひとつかもしれない。エライ遠回り。
遠回り・・・
遠回りが近道だった『鏡のなかの鏡』干からびた花嫁。
もしくは、ジャイロ・ツェペリが脳裏に過る。
ストレートに辿りつけた方々に、敬意を表する。
ヒトによって、理解の速度は違う。
経験を積んで理解し、次へ進む。
それが今であるなら、遠回りこそが結局「私の」最短の道だったようだ。
遠回りし過ぎの感もあるが不器用者ゆえ、致し方無い。
有限の中、衰えゆく様々な機能。
・・・優先順位を考えねばなぁ。